市川一家4人殺人事件
市川一家4人殺人事件wikiより
1992年2月、少年(当時19歳)は、フィリピン人のホステスと性的関係を持ったことにより、暴力団関係者から200万円を要求されていた。
工面に困った少年は、その数日前に
交通事故で轢き強姦した女子高校生のA子(当時15歳)の家に強盗目的で押し入る事にした。
3月5日午後4時30分頃、少年は家に押し入り、現金8万円を奪った後A子の
祖母(当時83歳)を絞殺。その後、帰宅したA子を監禁し、午後7時頃に帰宅した
A子の母親(当時36歳)を刺殺。A子を強姦した後、午後9時頃に帰宅したA子の
父親の会社社長(当時42歳)を殺害、預金通帳を奪う。翌6日午前6時頃、
A子の妹(当時4歳)を刺殺。
同日午前9時過ぎ、A子の父親の会社から「様子がおかしい」と通報が入り、警察官が駆けつけて少年を逮捕し、A子を保護した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E4%B8%80%E5%AE%B64%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
S 光彦
犯人は当時19歳の未成年者。
1994年8月8日、千葉地方裁判所で少年に死刑判決が言い渡された。少年は控訴したが、1996年7月2日に東京高等裁判所は控訴を棄却。更に上告するが、2001年12月3日に最高裁判所で上告が棄却され死刑が確定。
現在は
死刑囚である。
この事件は女子高生コンクリート事件の判決を見て「あれだけやっても未成年なら罪が軽くなる」とたかをくくり、手当たり次第に家族を殺害していった事件である。
逮捕時に「ああ、これで俺もついに少年院行きか」と思ったSは死刑判決がでるとは思っていなかったらしく、拘置所は暇なので高校を出ていなかったため受験勉強をすると言って母親に参考書などを差し入れさせている。
また祖父は都内で有名なうなぎ屋を展開しており、たびたびレジからお金を盗むSに対して注意をすると、足で顔面を蹴られて眼球破裂の大怪我を負っている。
報道規制
この事件があまり知られていないのは報道規制が敷かれたからである。
たった一人の生存者である少女が未成年であったことも関係しており、勉強中にシャープペンシルの芯が切れたためコンビニへ買いに出た時に自転車に車で衝突され、ナイフで脅され、頬を切られて怯える少女を男はアパートへ連れ込み2度も強姦。
そして現金を奪い、少女が裕福な家庭であることを知ったSは
生徒手帳を出させて住所と名前を控え、後日金に困って強盗を思いつく。
また4人目の被害者であるわずか4歳の妹が泣いてうるさいという理由で刺殺された時、この少女はSに対して立ち向かっており、ちょうど格闘しているところに警察が踏み込んで九死に一生を得ている。
ロス疑惑のスクープ
また被害にあった家族で会社経営の父親はあの三浦和義のスワッピングパーティーのスクープをしたカメラマンであった。
犯行時未成年で死刑判決が下ったのは、死刑執行の際に「オレを殺すと革命が起きるぞ」と言い放った、連続ライフル魔の永山則夫以来。はやくこの男の執行を求める。冤罪の可能性など微塵もないのになぜ飛び越されているのかわからない。
19歳の結末―一家4人惨殺事件
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